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仙台高等裁判所 昭和30年(ネ)10号 判決

控訴人(原告) 小山泰亮 外一名

被控訴人(被告) 興田村農業委員会・岩手県知事

主文

控訴人らの本件控訴を棄却する。

原判決主文第二項中別紙目録記載(8)、(9)の土地に関する部分を取消す。

控訴人泰亮の別紙目録(3)、(8)、(9)記載の土地に対する買収処分の取消を求める請求を棄却する。

控訴費用のうち控訴人泰亮と被控訴人興田村農業委員会との間に生じた部分は控訴人泰亮の負担とし、同じく控訴人ヤスと被控訴人岩手県知事との間に生じた部分は控訴人ヤスの負担とし、控訴人泰亮と被控訴人岩手県知事との間に生じた部分(附帯控訴費用を含む)は、第一、二審を通じ控訴人泰亮の負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。被控訴人興田村農業委員会が昭和二二年九月一五日(八月一四日が正しいのであつて、九月一五日は誤記と認める。)別紙目録(1)、(2)の土地につき樹立した買収計画を取消す。被控訴人岩手県知事が昭和二三年八月一日附岩手ほ第三、六六一号買収令書をもつて、別紙目録(3)(4)の土地につきした買収処分及び昭和二四年一月一日附岩手り第四、八二九号買収令書をもつて、別紙目録(5)ないし(7)の土地につきした買収処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。との判決並びに附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決並びに控訴人泰亮に対する附帯控訴として、原判決主文第二項中別紙目録(8)、(9)記載の土地に関する部分を取消す。別紙目録(8)、(9)記載の土地に関する控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は控訴人らの負担とする。との判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、控訴人ら代理人が、

(一)  被控訴人らは、控訴人泰亮の小作地として、小山齊助所有名義の田四反七畝七歩、畑一反八畝二〇歩、控訴人泰亮所有名義の田三反五畝七歩、畑九畝七歩以上合計一町一反九歩を挙げ、本件買収が同控訴人の保有地積を侵害するものではない旨主張する。右一町一反九歩は別表記載の一一筆の合計反別であると認められるが、そのうち(13)字沢八番田六畝一三歩は控訴人ヤスの所有であり、(55)字畑中三八番畑九畝七歩は、控訴人泰亮の二男捷平の所有であり、(28)字金山沢一五番の二畑六畝一三歩、(43)字畑中一七番田一反七畝一四歩のうち八畝歩、(44)同字三四番田五反六畝五歩のうち二反一畝五歩及び(52)同字二五番田一反八畝一八歩のうち六畝歩は控訴人泰亮の自作地である。

そして、(15)字四本松一三番の二田一反四畝一〇歩、(16)同字一三番の三田六畝一歩のうち三畝歩は、その地積を合計すると一反七畝一〇歩となるわけであるが、実際は右二筆の土地には畦畔八畝一八歩があるからこれを除いた一反二畝四歩として計上することが正当であり、その差五畝六歩は保有小作地でない。

したがつて、控訴人泰亮の保有小作地は合計四反七畝二五歩に過ぎず、法定の保有地積を侵害されたから、法定の保有地積を所有するまで、買収処分は順次さかのぼつて取消されなければならない。

(二)  ところで、被控訴人岩手県知事は、控訴人泰亮から第九期買収で(1)字小和太郎四番田一反三畝二八歩、(2)字向山三九番の二畑一五歩、(3)字小和太郎三番田四反一五歩、(4)字畑中三四番田五反六畝五歩のうち一反三畝一三歩、(5)字金山沢三一番田一反二畝五歩、(6)同字三一番の一田三畝一〇歩、(7)同字三一番の二田二〇歩、(8)字高屋敷二二番の二田三畝四歩のうち二畝四歩、(9)字畑中四一番畑六畝一二歩、(10)字蓬田二一番田一一歩、(11)字物見六六番の二田七畝の土地を買収したが右のうち(1)ないし(3)は控訴人ヤスの所有であり、(11)の土地は倢平の所有であるから、控訴人泰亮に対する買収関係から除外すべく、また(4)の土地は控訴人泰亮の自作地であるから、控訴人泰亮の小作地として正当に買収されたのは、わずかに八畝二七歩に過ぎない。したがつて残余五反三畝八歩についてはさらに以前にさかのぼつて買収を取消されなければならない。

(三)  被控訴人興田村農業委員会は、第四、五期買収で控訴人泰亮所有の別紙目録(4)字日蔭一九番田三反六畝二五歩、(3)字向山下二六番田一反二畝二八歩及び(2)字堀合下二番の一田五反一畝一七歩につき買収計画を樹立し、被控訴人岩手県知事は右買収計画にもとづき買収処分をしたのであるから、右の処分は法定の小作保有地を侵害する不当な処分として取消されなければならない。

(四)  別紙目録(7)字畑中三四番田五反六畝五歩のうち一反三畝一三歩の土地に対する買収は、その令書に範囲を具体的に表示せずに一筆の土地につきその一部を買収した違法があり取消されなければならない。

(五)  原判決は、別紙目録(5)、(6)記載の土地が控訴人ヤスの所有であることは被控訴人らに対抗し得ないものであり、同控訴人は当事者適格を有せず本訴を不適法として却下したが、同控訴人は昭和二二年一二月五日に昭和一九年一月一〇日贈与を原因として所有権移転登記を経由し、昭和二三年一一月一日本件買収計画樹立当時においては、すでに対抗要件を具備していたから当事者適格を有する。

仮に実質上所有権が前主である控訴人泰亮にありとするも、すでに所有権移転登記を経由したからには、控訴人泰亮はその名において訴を提起し得ないから、控訴人ヤスが当事者適格を有するものといわなければならないのであり、訴を却下した原判決は違法である。もし自創法の特別規定により基準日以後の所有権移転であつて、被控訴人らに対抗し得ないというのであれば、控訴人ヤスの請求を棄却すべきである。

(六)  被控訴人ら(一)の主張に対し、字金山沢三三番の三原野九畝一六歩の土地は、基準日当時採草牧野であり、昭和二七年八~九月ころ全部を畑とし、控訴人泰亮がみずから耕作してきているのであつて小山善之助は右の土地に何らの関係もない。(二)の主張に対し、控訴人泰亮が控訴人ヤスに所有権を移転したのは昭和一九年一月一〇日であるから、農地移転に知事の許可は必要としない。と述べ、

被控訴人ら代理人が、

(一)  控訴人泰亮は亡齊助名義で、田自作地一反九畝一八歩、小作地四反七畝七歩、畑自作地一町四反四畝三歩、小作地一反八畝二〇歩を所有し、自己名義で田自作地七反六畝一八歩、小作地三反五畝五歩、畑小作地九畝七歩を所有し、また控訴人泰亮の同一世帯にある小山要助は田四畝二八歩、畑一反一畝二五歩を所有していたもので本件買収によつてもなお自作地二町四反九歩及び小作地一町一反九歩を所有しているのである。なお控訴人泰亮が亡父齊助名義で所有する字金山沢三三番の三原野九畝一六歩のうち三畝歩は農地であつて同控訴人はこれを小山善之助に小作させているのであるから、これを加えると保有小作地は一町一反三畝九歩である。

(二)  控訴人泰亮が控訴人ヤスに別紙目録(5)、(6)の土地を昭和一九年一月一〇日に贈与したことは否認する。もつとも控訴人ヤスが昭和二二年父である控訴人泰亮を被告として、盛岡地方裁判所一関支部に右土地につき贈与を原因として所有権移転登記手続請求訴訟を提起し、同年一二月勝訴の判決言渡を受け、同月一五日は右判決にもとづき所有権移転登記を経由したが、これは、控訴人ら父子が相謀り今次農地改革による買収を免れんがため贈与を仮装し、いわゆる馴合訴訟により所有権移転登記を経由したものであり、真実所有権を移転したものではない。

仮に真実所有権を移転したとするも、その移転については知事の許可がないから、贈与はその効力を生じない。

(三)  附帯控訴の理由として、原判決は別紙目録(8)、(9)の土地につきした買収処分は保有限度侵害の違法の処分であると認定しこれを取消したが、本件買収によるも控訴人泰亮が法定の保有地を有することは前に述べたとおりであり、本件買収が同控訴人の保有限度を侵害した事実はない。と述べた。

(立証省略)

理由

(一)  被控訴人興田村農業委員会が昭和二二年八月一四日基準日である昭和二〇年一一月二三日の事実にもとづき、別紙目録(1)ないし(3)、(7)の土地につき旧自作農創設特別措置法(以下単に自創法と略称する。)第三条第一項第三号にあたる控訴人泰亮の所有小作地として買収計画を樹立、公告し、書類を縦覧に供したこと、控訴人泰亮が同月二〇日別紙目録(1)ないし(3)の土地に対する買収計画につき異議を申立てたが、昭和二三年一月六日却下され、さらに岩手県農地委員会に訴願したが、同年一一月一六日棄却され、裁決書の謄本は昭和二四年一月一九日同控訴人に送達されたこと、被控訴人興田村農業委員会が昭和二二年一二月一〇日別紙目録(4)の土地につき、昭和二三年一一月一二日別紙目録(5)、(6)、(8)、(9)、(10)の土地につき、各基準日現在の事実にもとづき前法条にあたる小作地として、右(6)の土地については控訴人泰亮の亡父齊助を相手方とし、右(10)の土地については第一審原告小山要助を相手方とし、右(4)、(5)、(8)、(9)の土地については控訴人泰亮を相手方として、それぞれ買収計画を樹立、公告し、被控訴人岩手県知事が所定の岩手県農業委員会の承認手続を経た上、右(4)の土地につき、昭和二三年八月一日附岩手ほ第三、六六一号買収令書を同月二一日控訴人泰亮に交付し、右(5)ないし(10)の土地につき昭和二四年一月一日附岩手り第四、八二九号買収令書を同年四月四日控訴人泰亮及び要助に交付して右の土地を買収したことは当事者に争がない。

(二)  控訴人ヤスの請求について

別紙目録(5)、(6)の土地がもと控訴人泰亮の所有であつたこと、同土地につき昭和二二年一二月一五日控訴人泰亮から控訴人ヤスに対し、昭和一九年一月一〇日贈与を原因として所有権移転登記を経由したこと及び控訴人ヤスが控訴人泰亮の二女であることは当事者に争がない。

成立に争のない甲第二一、二四、二五号証によると、控訴人ヤスは昭和二二年中父泰亮を相手取り、盛岡地方裁判所一関支部に、別紙目録(5)、(6)の土地を含む四筆の土地につき、昭和一九年一月一〇日贈与による土地所有権移転登記手続請求の訴を提起し、(同庁昭和二二年(ワ)第四号事件)昭和二二年一二月一日同裁判所において勝訴の判決言渡を受け、この判決にもとづき右争なき移転登記を経由したことが明らかで、この事実からみれば控訴人ヤスは父泰亮から前記の土地を昭和一九年一月一〇日に贈与を受けたかにみえるのであるけれども、他方成立に争のない甲第八、第一七ないし第二〇号証、乙第三ないし第五号証、第七号証の一、二、第八号証、原審証人伊東直七(第一、二回)、掛田常治、佐藤已之助の各証言によると、控訴人ヤスは農蚕学校を卒業後農林省蚕糸試験所に勤務していたが、今次大戦中病気にかかり父泰亮方に身を寄せ療養生活を送り昭和二三年二月二一日現在では基準日から同日まで泰亮の世帯員であつたこと、泰亮の二男である捷平も控訴人ヤスと同じく、昭和二二年中父泰亮を相手取り、盛岡地方裁判所一関支部に興田村沖田字物見二番田三反四畝二五歩ほか四筆の土地につき、昭和一九年一月一〇日贈与による土地所有権移転登記手続請求の訴を提起し、(同庁昭和二二年(ワ)第二号事件)昭和二二年一二月一日同裁判所において勝訴の判決言渡を受け、その確定をまち、同月一八日所有権移転登記を経由したが、右捷平も従来から昭和二二年八月まで泰亮の世帯員として生活してきたこと(したがつて基準日においては泰亮の世帯員である。)が認められる。甲第二九、三〇号証は右認定の妨げとならない。そして泰亮と控訴人ヤス及び捷平ら親子の間には、訴訟によらなければ所有権移転登記を経由することができないほど融和を欠く事情が認められないこと、今次農地改革に関する閣議決定の発表が昭和二〇年一一月二三日にされたことなど諸般の事情を考え合わせると、控訴人ヤスと泰亮との前記訴訟はいわゆる馴合訴訟であり、泰亮が控訴人ヤスに対し前記の土地を昭和一九年一月一〇日に真実贈与したことは認め得ないのであつて、その他控訴人ヤスが前記の土地を取得したことを認め得る証拠はない。かりに前記訴提起当時の昭和二二年中に控訴人泰亮が右(5)、(6)の田を控訴人ヤスに贈与したものとするも、これはついて岩手県知事の許可を受けた形跡がないから、控訴人ヤスはその所有権を取得するいわれはなく、したがつて本件買収処分により権利を侵害されたことを前提とする控訴人ヤスの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却すべきである。

(三)  控訴人泰亮の請求について、

(1)  別紙目録(1)の土地及び(7)の土地が基準日において自作地でありこれを小作地として被控訴人興田村農業委員会が樹立した買収計画並びにこれにもとづき被控訴人岩手県知事が右(7)の土地にした買収処分は違法であるとの主張につき考えるに、成立に争のない乙第二、六、九号証、甲第二八号証の二、原審での証人伊東直七の証言(第一回)及び第一審原告小山要助本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、控訴人泰亮は右(1)の土地のうち、一反一畝六歩を昭和一三年から小川菊三郎に、二反一〇歩を昭和一七年から小川正に小作させ、右(7)の土地五反六畝五歩のうち、二反一畝一七歩は自作地であつたが、うち一反三畝一三歩を昭和一七年から小山チカ子に、五畝五歩を小川菊三郎に、一反六畝を中津山東蔵に小作させ、基準日において小作地であつたことが認められる。右認定に反する原審での小山要助本人尋問の結果、甲第一号証、甲第一三、一四号証は措信しない。その他右認定を妨げる証拠はない。

(2)  別紙目録(7)の土地に対する買収は、その令書に範囲を具体的に表示せず一筆の土地につきその一部を買収した違法があるとの主張につき考えるに、成立に争のない甲第五号証の一、二によると、右土地に対する買収令書には沖田字畑中三四番田五反六畝五歩のうち一反三畝一三歩と記載しただけで、右の田のうちどの部分を買収するものであるか右令書によつてはこれを知ることができないことが明らかである。もとより買収令書はその交付により農地移転の効果を生じさせるものであるから、一筆の土地の一部を買収するときはその範囲を令書自体により識別し得られるように記載すべきであるが、これを欠く令書はすべて無効であると解することはできない。本件令書には沖田字畑中田五反六畝五歩のうち一反三畝一三歩と表示してあり、しかもさきに認定したとおり控訴人泰亮は昭和一七年から右の田のうち一反三畝一三歩を小作させ、他にまぎらわしい関係はないから、買収当事者においてはいうまでもなく、右令書に一反三畝一三歩とは控訴人泰亮が小山チカ子に小作させている範囲の土地を指すものであることは十分わかつていたはずであり、かつその範囲は事実上確定していたのであるから、右のような事実関係のもとにおいては、たとえ令書に買収部分を示す図面などを添付しなくとも、その特定に欠けるところがないものといわなければならない。

(3)  本件買収計画及び買収処分は法定の小作地保有限度を侵害したとの主張につき考えるに、岩手県における自創法第三条、第一項、第二号による小作地の保有限度は一町一反であること、控訴人泰亮方では同条同項第三号の関係においても右面積の小作地を保有し得るものであることは、弁論の全趣旨で明らかであり、(控訴人泰亮は原審ではその保有し得べき小作地の面積を一町五畝一三歩と主張したが、当審で一町一反とその主張を改めた。)成立に争のない乙第二、六、九号証、原審証人伊東直七の証言(第一回)に控訴人ら弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人らは、控訴人泰亮方ではなお別表記載の一一筆の小作地及び字金山沢三三番の三山林九畝一六歩のうち三畝歩の小作地を所有しているから、本件買収計画及び買収処分は控訴人泰亮方の小作地保有限度を侵害するものでないと主張するものであることが明らかである。

(イ)  別表(43)字畑中一七番田一反七畝一四歩のうち八畝歩、(44)字畑中三四番田五反六畝五歩のうち二反一畝五歩、(52)同字二五番田一反八畝一八歩のうち六畝、(28)字金山沢一五番の二畑六畝一三歩、(19)同字一六番の一畑一反五畝七歩のうち三畝歩以上合計四反四畝一八歩は基準日において自作地であるとの主張について、

別表(43)字畑中一七番田一反七畝一四歩については、原審証人掛田常治、伊東直七(第一回)、那須野篤一郎の各証言を総合すると、控訴人泰亮は昭和一六~一七年ころから小山林一に右の田全部を小作させていたが、昭和一八~一九年ころ掛田常治は右小山から田全部を転借して小作し、昭和二〇年四月ころ控訴人泰亮から土地返還を求められた際、右の田半分を耕作せしめられたい旨申入れ、その承諾を得、実測の上約八畝二三歩を引続き小作することとし、残地を返還して現在に至り、基準日においては右八畝二三歩は小作地であつたことが認められる。右認定に反する甲第二、二六号証及び原審証人那須野篤一郎の証言部分はいずれも措信しない。

別表(44)字畑中三四番田五反六畝五歩については、すでに認定したとおり控訴人泰亮の自作地はうち二反一畝一七歩だけで、残り三反四畝一八歩は小作地であるから、右小作地からすでに買収した別紙目録(7)の一反三畝一三歩を差引いた残りの二反一畝五歩は小作地として残るわけである。

別表(52)字畑中二五番田一反八畝一八歩については、原審証人伊東直七(第二回)、伊藤一和の各証言及び第一審原告小山要助の本人尋問の結果を総合すると、控訴人泰亮は右の田全部を小山吉三郎に小作させていたが、昭和二〇年一〇月中返地方申入れ、うち一反二畝一八歩の返還を受けその余の六畝歩については引続き同人に小作させ基準日に至つたことが認められる。右認定に反する甲第一三号証及び小山要助の本人尋問の結果の一部は措信しない。

別表(28)字金山沢一五番の二畑六畝一三歩及び(19)同字一六番の一畑一反五畝七歩については、原審証人小山純倣、小山和夫、原審及び当審証人佐藤已之助の証言を総合すると、控訴人泰亮は右二筆の畑及び字金山沢一五番の一約五畝の畑をもと佐藤市太夫に小作料大麦一石五斗及び大豆七斗五升の定めで小作させていたが、次で一〇数年前以上の畑を佐藤已之助に小作料大麦一石及び大豆五斗の定めで小作させ(ただし一五番の二及び一六番の一中桑木を植えた約三畝の地域については賃料は無料)、同人が肥培管理をし(桑木を植えてある地域については間作)、昭和三〇年春右一五番の二を返還しその余を小作し今日に至つたこと、控訴人泰亮は右の土地を佐藤已之助に小作させる前、昭和一四~一五年ころ右一六番の一畑一反五畝七歩のうち三畝歩の地域に約一〇〇本の桑木を植え、また昭和一九年ころ右一五番の二畑の全域にわたり約一六〇本の桑木を植え中刈仕立とし毎年桑葉を採取してきたが、肥培管理はしていなかつたことが認められ、基準日当時においは、桑木はさほど大きくならず、間作による収穫は桑葉の収穫にまさつていたことが推認されるから、一五番の二畑六畝一三歩及び一六番の一畑一反五畝七歩(かりに桑木を植えた三畝歩を除いて残り一反二畝七歩)はいずれも小作地であると認定することが相当である。右認定を妨げる証拠はない。

(ロ)  別表(12)字四本松一二番田八畝二七歩及び(15)同字四本松一三番の二田一反四畝一〇歩は著しく収穫不定の土地であるから、これを保有小作地に計上すべきでないとの主張について、

原審証人伊東直七(第二回)、伊東一和、菊池公平の各証言を総合すると、右両地は従来から田として耕作され(菊地貞四郎が昭和一五年ころから引続き耕作)、山間に位置するため平地の田にくらべて収穫量は劣るけれども収穫は一定していることが認められ、自創法第五条第八号にいわゆる収穫の著しく不定な農地にあたるとは認め難い。

(ハ)  別表(16)字四本松一三番の三田六畝一歩は現况山林であるとの主張について、

原審証人伊東一和の証言によると、右の土地は基準日当時菊地貞四郎が小作する田であつたことが認められる。右認定に反する甲第一六号証及び原審証人菊池新一の証言は措信しない。

(ニ)  別表(13)字沢八番田六畝一三歩は、基準日において控訴人泰亮と別世帯にあつた控訴人ヤスの所有であり、(55)字畑中三八番畑九畝七歩は、基準日において控訴人泰亮と別世帯にあつた二男捷平の所有であるとの主張について、

すでに認定したとおり、控訴人ヤス及び二男捷平は基準日当時控訴人泰亮の世帯員であつたから、仮に右の土地が主張のように控訴人ヤスまたは二男捷平の所有であつたとしても、自創法第四条の規定により控訴人泰亮の所有する小作地とみなされるのである。

(ホ)  別表(15)字四本松一三番の二田一反四畝一〇歩及び(16)同字一三番の三田六畝一歩は、そのうちから畦畔八畝一八歩を除いて保有小作地の面積を計上すべきであるとの主張について、

成立に争のない甲第三一号証(土地台帳謄本)によると、昭和三〇年九月二一日地積訂正により字四本松一三番の二田二反二二歩に内畦畔八畝一八歩と記載されたことが明らかである。しかし右の記載が事実に合致するかどうかについては何らの立証もないばかりでなく、自創法第一〇条の規定によれば、第三条、第六条、第九条の規定の適用については、農地の面積は、土地台帳に登録した当該農地の地積によるべきところ、乙第二、第六、第九号証、原審証人伊東直七(第一回)、当審証人伊東一和の各証言を総合すれば、右二筆の土地は、本件各買収計画公告当時土地台帳に一三番の二田一反四畝一〇歩、一三番の三田六畝一歩と登録されていたことを認めるに十分であるから、右各登録面積によつて保有小作面積を計算しても、少しも違法ではない。

(4)  字金山沢三三番の三畑九畝一六歩は現况及び土地台帳上山林であるから、これを保有自作地に計上すべきでないとの主張について、

成立に争のない乙第九号証によると、右の土地は地目及び土地の現况いずれも畑と記載されているのであるが、成立に争のない乙第二、六号証によると、いずれも右の土地は地目畑、現况原野として記載され、また成立に争のない甲第九号証によると、右の土地は土地台帳上山林と登載されているのであつて、右の記載によつては基準日における右の土地の現况が何であつたかはこれを知ることができない。しかし、当審証人小山善之助、小山和夫の証言によると、小山善之助は昭和三〇年六月控訴人泰亮から採草地であつた右の土地を買受け、その後開墾して畑としたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

してみると、基準日において農地であつたことの反証のない本件では、右の土地は基準日当時農地ではなかつたものと推認することが相当である。この点につき被控訴人らは右の土地のうち三畝歩を小山善之助に小作させているというのであるが、このような事実を認め得る証拠はないから右三畝歩を控訴人泰亮所有の小作地ということはできない。

右認定の事実によると、控訴人泰亮の保有小作地は一町一反を超過することが明らかであるから、本件買収計画及び買収処分は同控訴人の保有し得べき面積の小作地を侵かすものということはできない。

以上に認定したとおりであるから別紙目録(1)、(2)の農地に対する買収計画、(4)、(7)、(8)、(9)の農地に対する買収処分の取消を求める控訴人泰亮の本訴請求は総て失当であつて、これを棄却すべきものである。

そうすると、原判決中別紙目録(5)、(6)についての控訴人ヤスの請求、(1)、(2)、(4)、(7)についての控訴人泰亮の請求を排斥した部分は相当であるから、本件各控訴は理由がなく、原判決中(8)、(9)についての控訴人泰亮の請求を認容した部分は不当であつて本件付帯控訴は理由がある。

なお控訴人泰亮は、当審において、別紙目録(3)記載の土地に対する買収処分の取消を求めたところ、被控訴人らは、右(3)の土地に関する控訴は、控訴期間経過後に提起された不適法な控訴であると主張するが、控訴人泰亮は原審では(3)の土地に対する買収計画の取消を求めていたのに、当審では、これに対する買収処分の取消を求めるものであるから、同控訴人は控訴を提起したものではなく、当審で請求の趣旨を拡張したものというべきである。(控訴人は昭和三〇年五月二三日の当審口頭弁論で本件控訴は控訴人敗訴部分全部について不服申立をしたものであると主張するが、その後の訴訟の経過によれば、(3)の土地については買収処分の取消を求めたものと認めざるを得ない。)そして右買収処分のあつたことは被控訴人岩手県知事の明らかに争わないところであり、また右買収処分がいつ効力を生じたかについては、当事者双方何ら主張するところがないから、右訴(拡張部分)は出訴期間内に提起された適法なものと認めるほかない。しかし(3)の土地に対する買収処分が控訴人泰亮の保有し得べき面積の小作地を侵すものでないことは、さきに認定したところによつて明らかであるから右請求は失当であつてこれを棄却すべきものである。

そこで、民訴法三八四条、三八六条、九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 沼尻芳孝 羽染徳次)

(別紙省略)

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